hen nakao
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of Hen Nakao
The center of Nakao's world
1967年東京生まれ
2016年風俗店経営者から美術家(画家)に転身(*変歴参照)。中尾は絵の具を中心に、描ける材料全てを使い”記憶と近未来を含めた現在進行形のシュールな絵”を描く画家でありアーティストとして活動中。これまでさらけ出してきたエロトピア(作品達)に敢えて統一感を持たせていないが一貫して女を描き、性と制度を考察する表現をしてきた。しかし、エロ、女を専門とはしておらず、何処にも寄せず、ありそうでない世界観を描くことに重点を置いる。しかしながら人物を描くことには執着があるようだ。厳密に言うならば人と人の組み合わせ、人と場所とシチュエーションを絡ませ方で“毒特”な意味合いやドラマ性を生み出し作品化している。エロスとユーモアと社会がイビツに混在する奇妙で気持ち悪い感覚の作品を構築し現代社会に投げかけているとも言える。
其れ等の感覚で”かっこ悪い日本“を描いた作品を世界の各地で発表し、反応を確かめ独自による研究の幅を広げ楽しんで行く事が現地点の目標となっている。
2023年春頃個展「発狂メロドラマ」開催予定。
Born in Tokyo in 1967.
In 2016, he changed from a brothel manager to an artist (painter).*See HEN STORY.
Nakao is a painter and artist who draws pictures using all materials that can be drawn, mainly paints.I have not deliberately given a sense of unity to the erotopia (works) that I have exposed so far, but I have consistently drawn women and expressed expressions that consider sex and institutions, but I do not specialize in eroticism or women. , Focuses on drawing an unlikely world view without moving anywhere.
However, he seems to have an obsession with drawing people. Strictly speaking, the combination of people, the way people, places, and situations are intertwined creates a “demonic” meaning and drama.It can be said that he constructs a work with a strange and disgusting feeling that mixes eros, humor, and society in an irresistible way, and throws it into modern society.
current goal. Presenting works depicting "uncool Japan" with those sensibilities. to publish it all over the world. And it is to check the reaction and enjoy your own research.
Solo exhibition “Crazy Melodrama” will be held in the spring of 2023.
変 歴
HEN STORY
1967年東京都世田谷松原で誕生し給田の団地で育つ。野球少年であったが親の勧めで烏山のアトリエクローに通っていた。アトリエへ通う足は重たかったがオーナー講師の杉田五郎師に感銘を受けた。自身が初めて出会った狂った大人だったからであろう。
中学時代は暴走族の集会に参加するようになり族のステッカーやエンブレムに興味を抱き勝手にデザインしていた。渋谷近辺の工業高校に進学し連日DISCOに通いナンパばかりしていた。
ここまでは将来画家になる要素はコンマ1mmもなかったが。。
18歳の時軽薄な憧れから転機は訪れる。
当時最先端だったPARCO等のデザインで活躍する人気グラフィックデザイナー達に憧れ東京芸大を目指すことになるが試験の為のデッサン等一向に上達せず3浪したが毎年1次試験落ちという散々の結果の末、多摩芸術学園(現多摩美術大学2部)に入学。荒れていたせいかPUNKな学生時代を過ごす。破壊力は増したがそのエネルギーを何処に叩き付けたら良いのかわからなかった。ビジュアルデザイン科を卒業したが俄かに画家を目指そうと思うよになる。しかし何から描きはじめ、何から始めたらいいのかさっぱりわからなかったがアカデミックでない人間が本気でアートするにはアカデミックな人間が進まない道を進み多くを体験することだと感じていた。博打を打つような気持ちでニューヨークへ飛び込み冒険が始まった。
卒業後、白タク(無許可タクシー)をして短期間で軍資金を作り初の海外ニューヨークへ飛んだ。ダウンタウンにアパートを借り毎日徘徊していた。今より治安が悪かったがその分自由で刺激的だった。壁の落書き、地下鉄の改札、公園で演奏するミュージシャン、手書きの店の看板、、目に映る全てが胸に突き刺さった。わざわざ映画館や美術館に足を運ばなくても十分満たされた。日本のようにシステムに属さなくてもイキイキ自己主張しているように感じ心が解放された。
帰国後も冒険を続け、アーティスト活動はその後に始めようと思いつつ、バー経営や装飾美術の仕事をしていた。順調だったが仕事が大きくなるにつれて描きたくないモノを要求されるようになっていった。現実社会と接触する事が増し、同時にそこから逃避したい欲求も増しドラックに溺れ頭が狂ってしまった。このままではヤバいと思って一旦筆を手放すことにした。
丁度その頃親友が回春マッサージの店をはじめると言っていたので、一緒に組ませてほしいと頼み、親友と非合法の店をはじめたのは40歳だった。くだらないアイデアを存分に散りばめた違法なその風俗店は予想以上の早さで大ブレイクした。僅か半年で目黒に2号店を出す程膨れ上がった。毎晩閉店後は街に繰り出し寿司だシャンパンだとはしゃいでいたがその業界で目立つことはタブーだった。同業者の嫌がらせは増し、ヤクザ、警察、税務署らに目をつけられた。あの手のこの手でなんとかかわし続けたが、3年目遂に検挙。序でに国税局からも御用となり追徴課税数千万。
地獄に堕ちた。。
夢みていたアーティスト活動は物理的にもう飽きらめようという気持ちとようやくアカデミックな連中が出来ないことをやりきった今こそ活動し始め時だ!という気持ちの狭間で心は揺れ続けていた。
暫く店は開けられず嬢達は皆去り行き借金は膨れ上がり全て終わったかと思ったが、残ってくれた僅かな嬢達と法ギリギリのアイデアと知恵を絞りなんとか再オープンさせた。当時の嫁までつぎ込んだ。苦しみ藻搔いたが、やがて俄かに再ブレークし始めた。前回のしくじりのが頭をよぎり不安が発症したが、ある日闇の大物中国人ブローカー(後に検挙され大スクープされる)が現れ店を1件買い取ってくれるという大大大ミラクルが起きた。奇跡的に借金を清算することが出来た。なんとか税金を払い終えた時点でその世界からキッパリ足を洗った。
その後離婚し妻とは友達関係に戻し大好きだった渋谷のビンテージマンションを去り都心から離れた場所にひっそりアトリエを構えた。何もかも失いボロボロだったが2016年念願のアーティスト活動をようやくスタートさせることが出来た。
ポンコツ48歳の春だった。
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